塙保己一

盲目の国学者塙保己一(1746〜1821年)について調べていたら、埼玉県の子ども向けパンフに「塙保己一物語」というものを見つけた。
Wikipediaより面白い。
http://www.pref.saitama.lg.jp/a0604/hanawa/documents/404314.pdf
そのパンフの最後に保己一に挑戦クイズあるので、それから、挑戦。

1.保己一が、病気がもとで失明してしまったのは、何歳の時だった?
ーーー7歳の時。

2.保己一が15歳のとき、江戸に向かう決意をしたきっかけとなった職業は?
ーーーあんま、はり。 (当道座)

3.保己一が編集・出版した「群書類従」。その群書類従の版木は全部で何枚?
ーーー17,244枚。 版木は裏表両面刷れるので約34,000ページ分。 666冊。

4.現在の大学ともいえる、保己一が設立した学問所の名称は?
ーーー和学講談所。

5.世界的偉人ヘレン・ケラーに、塙保己一のことを教えたのは誰?
Her mother. In 1937, Helen Keller came to Japan and visited Hokkiichi’s memorial house. She expressed her impression as follows: “When I was a child, my mother told me that Mr.Hanawa was your role model. To visit this place and touch his statue was the significant event during this trip to Japan. The worn desk and the statue facing down earned more respect of him. I believe that his name would pass down from generation to generation like a stream of water.”

塙保己一記念館、撮影前の予習でした。・・・

この世の楽園・日本

ハーバート・G・ポンティング著 英国人写真家の見た明治日本 (講談社学術文庫)を読む。

ハーバート・ポンティングにとって「常に人生に生き甲斐を与えてくれるものの一つ」であるカメラを持って、思う存分写真に撮ることを目的にして、1902年ごろ来日した。ーーー写真家ならではのこの取材意識が素晴らしい。明治期、一山当てようとして来日する外国人とは一線を画している。

「私は蝉の声が好きだ。…日本の昆虫の甘美な鳴き声は、私にはかりしれない大きな喜びを与えてくれた。…」

虫の音を日本人は左脳の言語分野で声として聞き、日本人以外の外国人は右脳の音楽分野で雑音として聞く(最近の脳科学はどのように捉えているのかはわからないが、日本語の母音の多さからして、あり得る)、という日本文化の深みまで測れる彼の感性も、また、素晴らしい。

日本人的な感性で、その上親日的ともなれば、最近のTV番組で流行っているような「世界に誇れる日本文化・日本の製品」というような見方になりがちだが、ポンティングはそのような俗物ではなかった。

明治日本の外国趣味に迎合して質の低下した職人技の多さを嘆き、その中で毎日技に磨きをかける名工がいることも知っている。その名工が作り出す超一級品を見極める目も持っている。

ビンテージプリントを見たくなるほど写真がうまい。絵葉書になるような撮りかたはしていない(日本に慣れたとき、こずかい稼ぎをしたような写真もあるが)。ポートレートなどは彼の人柄がよくわかるように表情が優しい。

110年程前の明治期日本。来日した外国人によっていくつかの日本見聞録が出されているが、この本が一番かなー。

原著は1910年ロンドンのMacmillan社から出たIn Lotus-Land Japanで、Kindleでも200円で読める。しかし、この世の楽園かなー?編集者がつけたタイトルだろうけど。

9月18日

今日9月18日午後5時に新国立競技場のコンペが締め切られた。
隈研吾ー大成ー梓設計チームと伊東豊雄ー竹中・清水・大林ー日本設計チームの一騎打ちになるらしい。
5年先未来の「わくわく感」はなくなった。
暗雲垂れ込める新国立騒動のなかで、先日、ザハ事務所が出した反論ビデオが一筋の光線のように思えた。その光もいまはない。

安保法案が参院でも可決成立しそうだ。

84年前の9月18日満州事変(中国名九一八事変)が起きた。
15年戦争の始まりの日だ。
中国にとっては918と919とでは意味が違う。
野党の問責攻勢で日を跨ぎそうだということに一縷の希望を見出す自分が哀しい。

「回想 20世紀最大のメモワール」レニ・リーフェンシュタール著

なぜ、いままたレニ・リーフェンシュタールの自伝を読んだかのか?

回想―20世紀最大のメモワール (上) (文春文庫)回想―20世紀最大のメモワール (下) (文春文庫)

先日の中国の軍事パレードを見て、彼女のナチス党大会の記録映像「意志の勝利」を思い出したので。・・・連想がはじけた。

「意志の勝利」は単なる記録映画ではない、ヒトラーの「美意識」をビジュアル化したようなプロパガンダ映画だ。

同じくヒトラーの「美意識」を具体化したアルベルト・シュペーアが懲役20年なのに、彼女は、ナチ党員でなかったとはいえ、無罪というのはどういうわけか?

リーフェンシュタールがシュペーアに宛てた手紙のなかに二人のかなでの線引きが示されていた。

「・・・それでもーーーこう書くことをお許しくださいーーーあなたは何百万回と繰り返され、決して止むことのないであろう質問に十分な回答を与えてはいません。それは「ドイツ国民だけではなく、多くの外国人にまであれほど感銘を与えた、いや魔法にまでかけてしまったヒトラーの魅力とは何か?」。その原因はだぶん、あなたがその人のネガティブな面をポジティブな面よりもより強く強調したことにあるのではないでしょうか。あなたが記しているようなヒトラーは、善きにつけ、悪しきにつけ、普通ではことはやり遂げるかもしれませんが、全世界を分解するような真似はできないでしょう。ところが、現に彼はそれにほとんど成功しかかったのです。ここで私たちの見解は分かれるのです。・・・」

リーフェンシュタールにすれば、全権掌握前に彼女やシュペーアの隠れた才能を見いだしたプロデューサー能力がヒトラーの魅力ということになる。

彼女は非ナチ化裁判で「ナチスの同調者だが、戦争犯罪への責任はない」との理由で無罪となった。

スーザン・ソンタグの土星の徴しの下にが読みたくなった。

塚本晋也監督「野火」

もっと早く劇場に行きたかったが、やっと塚本晋也監督の「野火」を見た。http://nobi-movie.com/theater.html

原作は第二次世界大戦フィリピン戦線での地獄を書いた大岡昇平の小説「野火」だが、この映画は原作小説を1時間27分で速読したような感覚に近かった。
あるいは、こういう表現が許されるかどうかわからないが、小説のプロモーションビデオ(PV)を見ているような感覚に襲われた。

脳への映像的な焼き込みが記憶になるには編集作業の時間が必要だ。小説「野火」は1951年に雑誌「展望」に発表されたものだから、大岡昇平は記録から記憶への編集作業に少なくても6年間の時間をかけた。

映画「野火」は、大岡昇平のこの編集作業の時間を意図的に排除して、大岡昇平が脳に焼き込んだ映像をそのまま断片として再現する試みのようだった。

つまり、塚本晋也の編集作業は、壊れた人間を精神科医が分析するような合理的な手法ではなく、レイテ島の自然と荒川の自然が映像的にシームレスに繋がるようにしただけだったのではないかと思う。

こうしてトラウマとなりうる映像の断片が作られたのだが、映像に比べて、台詞が原作小説と殆ど同じ言葉で構成されているにもかかわらず、心に響くことはなかった。これは大岡昇平をして6年間の心的編集時間を無視した代償かもしれないが。

「永遠平和のために」イマヌエル・カント著 池内紀訳

綜合社から2007年に出版された永遠平和のためにが、今年の6月集英社から復刊された。
藤原新也さん、野町和嘉さん、江成常夫さんの写真と「永遠平和のために」から抜粋した格言とを並べ、カントの戦争と平和についてのアフォリズム集にした、編集企画本。
編集者は池孝晃氏。

実は、2007年に出版されたとき、書店で写真ページをパラパラとしただけで、購入はしなかった。
買わなかったばかりか、「こういうことやっているから写真家は低く見られてしまうんだ!」と写真界の大御所たち、そして編集者に腹を立てた。

それが、なぜ? 今回の復刻版は買って読んだ。自分のなかでは、
1)安全保障法案をめぐる最近の政治状況がカントにまで向かわせた? ーーーハズレとはいえないけど、ズバリではない。
2)池内紀さんの訳を読みたかったから? ーーーハズレとはいえないけど、ズバリではない。
3)昨今の中高年の編集者が、自分で企画が立てられない、自分でリサーチできない、自分の頭で考えられない人が多いなかで、本来編集者とはこういう役割を背負った人だ、とわかる本を応援したい。ーーーこれが一番「的」に近い。
(1,404円の本にしては、随分葛藤があったように思えるだろうが、)クリックする一瞬、このようなことを考えた。

読後感は?
アーカイブにある写真に古典的な名言・格言を添えるのは、写真家の端くれとしては、どうしてもダメでした。

どうして?
たとえば、「常備軍はいずれ、いっさい廃止されるべきである。」には藤原新也さんのコスモスの花の写真が、
「戦争を起こさないための国家連合こそ、国家の自由とも一致する唯一の法的状態である。」には野町和嘉さんの牛の放尿で髪を洗うスーダンのある部族の少年の写真が、
「永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれに課せられた使命である。」には江成常夫さんの原爆ドームのシルエット写真が、それぞれ使われていた。
ーーーこれはコラボレーションではない。ーーー写真は言葉の付け足しではない。ーーー言葉と写真が合わないとか、「イメージ」に偏りすぎているとかの問題ではない。

「永遠平和は空虚な理念ではなく、われわれに課せられた使命である。」
永遠平和が、私たちに課せられた使命であるとすれば、写真家なら写真家として、翻訳者なら翻訳者として、編集者なら編集者として、それぞれの立場で「永遠平和」にアプローチする試みをしなければならない。
名言にアプローチする試みでなければならない。ーーー写真家はやったといえるかな?

写真との関係でぼろくそに言っているけど、カントの「永遠平和のために」の翻訳本としてはすごくいい本だと思う。
しかし、簡単に読めるからといって簡単に理解できることではない。
だからこそ、池内紀さんの具体的な翻訳の苦労話のほうが読みたかった。

「平和のための戦争論」植木千可子著

リベラルな安全保障の専門家として注目されている植木千可子氏の平和のための戦争論: 集団的自衛権は何をもたらすのか? (ちくま新書)を読んだ。

期せずして、なぜ日本ではリベラリズムが成長しないのかがわかるような気がした。と同時に、日本の安全保障にはいま何をしなければならないのかもわかった。

著者は、昨年7月集団的自衛権の行使容認が閣議決定されたとき、この本の上梓を思い立ったと述べている。まえがきはこんな言葉で結ばれている。「次の戦争をするかしないか。それを決めるのは、私たちです。・・・」こんなフレーズに誘われて、読みはじめ・・・、簡明な論理の展開は、確かにMIT国際研究センター出身と思わせるのだが、一方で、(小生の頭の中には)違和感のようなものが、だんだん大きく膨らんだ。

違和感? それは植木さんは集団的自衛権を自明の理として日本の安全保障を論じるのだが、現憲法下では考えられない「軍事的孤立主義」や「積極的軍事的国際主義」などを選択肢の一つとして解説ーーーTVの討論番組みたいな構成にするものだから、新書本にも政府から圧力が掛かっているの(?)と嫌な気分になった。

ところが、最後に「私の考え」という項目を設け自身の考えを述べている。ーーーこの本はこの項目だけあればよかった。「私の考え」の13ページ分を詳細かつ簡明な230ページの本にしてもらいたかった。

「私の考えをここで少し述べておきたい。世界に起こっている変化を見ると、日本がこれまでの安全保障政策を続けて安全を確保するのは難しい。日本は国際システムから多大な恩恵と利益を受けているので、積極的にこの国際システムの維持を図ることが必要だ。そのためには、集団的自衛権の行使を容認する必要がある活動もあると考える。・・・」
「ただし、集団的自衛権の行使に向かって動くのであれば、3つのことが不可欠だ。・・・
「1つめは、どのような場合に集団的自衛権を行使するのかについて、国内で幅広い議論をする必要がある。・・・安全保障の観点から歯止めが問題となるのは、憲法を逸脱する戦争をする国になることではなく、他国に威圧感を与え安全保障のジレンマに陥り、安全が損なわれることだ。・・・今回の閣議決定に際して、政府は十分な説明をしていない。・・・
「2つめは、中国との関係改善と関係強化に全力を傾けることだ。・・・多国間安全保障枠組を作り、その中に中国を組み入れておくことが重要だ。・・・安全保障だけでなく経済でも同様だ。・・・災害救助の協力や水難事故の際の協力など、低いレベルの協力からでも始め、制度化することが必要だ。・・・
「3つめは、先の戦争に対する日本人による検証だ。なぜあの戦争が始まり、拡大したのか。なぜ、負けたのか。あるいは、なぜ負ける戦争を始めたのか。・・・とくに、日本の場合は、アメリカの冷戦戦略の一環で、戦時中の指導者らを1950年以降、要職に復帰させたため、戦争の検証がさらに困難になった。・・・しかし、この作業を日本人自身でやり遂げない限り、日本は前に進めない。

植木千可子さんの3つの必要不可欠な社会基盤ないし国民的な合意。いまの安倍政権は何一つクリアしていない。

世論調査では(朝日、毎日、読売3紙の平均)法案に賛成が30.3%、反対が54.7%、また法案を十分に説明しているかとの質問には各新聞、テレビ東京などが軒並み80%を超える結果だった。こういう世論を無視して憲法違反の法案を強行採決、だめ押しに60日ルールを使おうなんていうのは民主主義国家とはいえない。

「幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで」橋本一夫著

21年前に出版された幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで (講談社学術文庫)を今日読むと、現在起きている問題は80年前にも同じようにあったことがわかる。そして問題山積の背景には責任の不在があり現代に通じる。政府や日本側オリンピック関係者の物事の決め方は80年間あまり変わっていないこともわかる。私達が参考にすべきは1964年のオリンピックではなく、失敗からより多く学ぶという意味で、1940年の幻のオリンピックかも知れない。ーーー今日の必読書かも。

招致から返上までの歴史、特に1936年7月31日「決定」から1939年7月15日「返上」を閣議決定するまでは、いま私達の目の前で起きている新国立の白紙撤回や安保法案の強行採決など、加えてこの時期に政府が発表した日中中間線近くの中国ガス田施設の写真公開と中止要求などの日中関係を、無意識のうちに重ね合わせて読んでしまう。

たとえば、(80年前の)メーンスタジアムの建設に焦点をあてて拾い読みをすれば、今日の新国立の白紙撤回の問題がより鮮明になる。(『メーンスタジアムはどこに』と『着工できない競技場』の二項目からの長い引用ですが、  戦前のほうが透明性があったこともわかるので、お許しを。)

「東京市は当初、メーンスタジアムをはじめとする主要競技施設の建設場所として、隅田川河口付近の月島埋立地をあてる計画を立てていた。関東大震災後の都市計画の一環として大々的に埋立地を造成し、そこで万国博覧会とオリンピックを開催するつもりだったのである。・・・
「このため、『第十二回国際オリンピック大会招致委員会』は1936年3月16日、既述のようにメーンスタジアムの設置場所を明治神宮外苑とし、外苑競技場の敷地を拡張して新に十二万人収容の競技場を建設するという『招致計画大綱』をまとめている。もっとも、この『大綱』はIOCベルリン総会を前に急遽作成したものであり、委員会では一部委員から異論も出たため、場合によれば建設地の変更もあり得るという条件が付帯されていた。
「東京市長牛塚虎太郎は『大綱』作成後も月島埋立地案に強く執着していた。・・・『神宮外苑が適当』と主張するIOC委員副島道正と対立している。だが、副島以外にも月島案への反対意見が多く、牛塚も自説を撤回せざるを得なかった。
「1936年12月24日の第一回組織委員会総会の席上、牛塚はメーンスタジアムの候補地として代々木、品川、駒沢、上高井戸、神宮外苑など九ヵ所をあらためて提案し、至急調査するように要望した。これに対し、体協新会長大島又彦は、明治神宮を中心とする地域に各種競技場を建設する案を提出し、組織委員会内に設けられた競技場調査委員会は、第一候補地代々木(明治神宮に隣接する陸軍練兵場)、第二候補地千駄ヶ谷(神宮外苑競技場西側一帯の民有地)、第三候補知青山射撃場跡、第四候補地駒沢ゴルフ場など、第七候補地までを選定する。
「・・・体協理事会は二月四日、第三候補の青山射撃場跡を推薦する方針を決定したが、その四日後、今度はIOC委員副島道正が、神宮外苑を大拡張してメーンスタジアムのほか水泳競技場や球技場も同一地域内に建設する試案を発表すると、同じIOC仲間の嘉納治五郎が『途方もない夢物語だ』と反対。・・・
「・・・議論百出の末に組織委員会は、1937年2月23日、メーンスタジアムには神宮外苑競技場を改造してあてることをようやく決定した。
「2月24日付『読売新聞』で、同社運動部長星野龍猪は組織委員会の内部不統一ぶりをきびしく批判した。『・・・端なくも『IOC委員と体協とを含めた』わがNOCの甚だしい無統制が暴露され、その虚に乗じて東京市側が頻りと駆引戦術を行った結果、会議の方向は兎もすれば軌道はづれがちであり、このまま推移すれば『東京大会が果たして無事に開けるか?』とまで憂慮の起ってくるのも至極当然といはねばならない。』
「東京招致に協力し、同年春に訪日した米国IOC委員ウィリアム・メイ・ガーランドも、帰国すると早速、日本の組織委員会の内輪もめに懸念を表明したほどであった。さらに、この神宮外苑競技場改造計画は、内務省神社局の横槍で暗礁に乗り上げてしまう。
「5月18日、第十五回組織委員会総会に内務次官代理として出席した神社局長児玉九一は、『風致上、管理上の問題および明治神宮外苑が国民の浄財で造園された記念物であることなどから、内務省としては同競技場の改造計画案には同意し難い』と反対意見を述べ、翌日、十九日の組織委常務委員会に外苑接続の民有地を買収して新競技場を建設するという内務省案を提出した。・・・
「・・・財政面で頭を痛めていた組織委員会に朗報が飛び込んできた。東京オリンピックの準備に拍車をかけるため、東京市が負担する競技場建設費六百万円、大会関係街路修築費一千万円を支出することが、3月29日の東京市会で満場一致で可決されたのである。
「神宮側には、明治天皇ゆかりの地明治神宮外苑は『極メテ由緒アル場所』で『一木一石たりともゆるがせにできぬ』と、かたくなな態度をとる者がいて、いっこうに交渉が進展しなかった。
「組織委員会と内務省が再三折衝した結果、内務省は神宮外苑競技場の最小限度の改造を認め、収容能力五万数千人、工事費四百五十三万四千百円とする案を提示した。が、組織委員会や東京市は内務省案に首をかしげた。当時の神宮外苑競技場の収容力は約四万人だが、これでは一万数千人しか増えない。そのために四百五十万円余もの予算を費消するのはいかがなものか、というわけである。
「・・・もともと東京市は収容人員十二万人以上の巨大競技場とするように要望していた。建設問題がこじれたことから、その後は最低十万以上と多少要求をさげていたが、スケールの大きい競技場を切望する態度は変わっていない。・・・
「そこで浮上したのが、神宮外苑競技場に代わって世田谷の駒沢ゴルフ場跡地にメーンスタジアムを建設する案である。
「・・・神宮外苑競技場の改造に固執していたIOC委員副島道正も、大スタジアム建設に意気込む東京市の熱意に押され、結局は計画変更に同意する。・・・副島はみずからIOC会長ラトゥールに国際電話をかけ、駒沢案についての了承をとりつけた。
「組織委員会は4月23日、第二十五回総会で外苑競技場改造案を放棄し、水泳競技場、オリンピック選手村と合わせて、駒沢にメーンスタジアムを建設することを正式決定する。
「メーンスタジアムは十月上旬に起工し、大会二ヶ月前の1940年7月に竣工、水泳プールと選手村は1940年3月の完成を見込んでいた。

「日中戦争の長期化にともない、国内では諸物資の統制を厳重にし、需要を抑制する動きが日増しに強くなる。当然のことながら、それは東京オリンピックの競技場建設にも重大な影響を与えることが憂慮された。なかでも、多くの鉄材を必用とするメーンスタジアムについては、はたしてすんなりと着工できるのか、建設財源として東京市の起債が認可されるのかが大きな問題であった。「・・・『オリンピックの競技場をつくるか、駆逐艦一隻をつくるか』の選択が真剣に論じられるようになった。・・・
「東京市側は、メーンスタジアムを一部木造とするように設計変更し、一千トンは必用といわれた鉄材の量を六百トンにまで削ったが、それでも資材が得られる見通しは立たなかった。磯村英一(当時東京市「紀元二千六百記念事業部」総務課長)は「鉄材使用について政府の承認が得られなかったことが、大会返上の決定的要因だったのではないか」と述べている。」

橋爪大三郎X大澤真幸X宮台真司著「おどろきの中国」

中国をテーマに橋爪大三郎X大澤真幸X宮台真司の3氏の鼎談おどろきの中国 (講談社現代新書)

「中国が、こんなに存在感を増しているのに、私たちは中国のことを知らない。」から始まり、
「本書では、中国のことを考えるときに陥りやすい勘違いや落とし穴など、目をつけるべきポイントに集中した。こういう筋道で考えていくと、しっかり考えられる。中国の人びとと手を携えられる。そういう考え方の基本スタンスが、提案してある。・・・」で終わるのだが、本書のもつ意義はここですべて説明されている。

今回はかわった読み方をした。最初を普通に冒頭から、次は後ろから反対に第4部10日本がとるべき針路、9北朝鮮問題、8台湾問題、・・・、第1部1中国は「国家」なのか?、という2回読んだのだが、本書は逆読みがよかった。初めて読む人にもこの逆読みを勧める。

逆読みのほうが、秦の始皇帝からはじめなければ説明がつかない中国を動かす原理や、暗いトンネルの中で車が止まってしまったような日中関係にも出口はある、という気分がより高まる。ただし、「毛沢東」と「文化大革命」については、三者ともだが、とくに橋爪さんの明解さが落ちる。普通に頭から読んでもそのように感じた。

Visualizing Japan (1850s-1930s): Westernization, Protest, Modernity

オンライン大学公開講座にVisualizing Japan (1850s-1930s): Westernization, Protest, Modernityと題された科目を発見、興味がわいた。
edXというMOOCsのひとつが運営する公開講座で、MIT(マサチューセッツ工科大学)とハーヴァード大学が行うコラボ講座だということだ。
https://www.edx.org/course/harvardx-mitx/harvardx-mitx-vjx-visualizing-japan-2331#.VAQsyUv6pqJ
初めて見るようなvisual imagesもありそうなので受けてみよう。