オフィス大改造

オフィス、スタジオの大改造をしている。
その前に大掃除・・・。
確かに掃除は毎日少しずつやっていないととんでもないことになる。
30年たまった未整理は、必要、不必要の判断も鈍くなる。
ウェブを軸にして整理しようと思った矢先のウィルス感染。
2ヶ月失ってしまった、復旧未だならず・・・。
・・・掃除、整理に戻ろう!目標1週間以内!!

シン・ゴジラと川崎の臨界実験装置

先週、朝日の『(核リポート)封印解いた河野太郎氏「東電は責任果たせ」』を読み、いまさらだが、シンゴジラが核施設に無関心だったことを思い出したので、事実を織り込みながら妄想を加速させてみた。

シンゴジラが生まれたのは東京湾とされているが、詳しくはアクアラインの川崎側海中だ。
世間ではあまり知られていないことだが、川崎市には研究用核施設が麻生区と川崎区のそれぞれ2カ所合計4施設にある(1ある、3あった)。

川崎区にあるものは、浮島町の東芝原子力技術研究所の「低濃縮ウラン軽水減速非均質型臨界実験装置(NCA)」と教育訓練用原子炉TTR-1(2001年廃炉)、麻生区のは武蔵工業大学(現東京都市大学)に、武蔵工業大炉MITRR(2003年廃炉)と日立教育訓練用原子炉HTR(2006年廃炉決定)。
それぞれ廃炉と言っても、放射性廃棄物の処理や、さらには一度事故を起こした施設は、簡単には更地にできないようだ。
川崎区の東芝周辺には神奈川県が設置した放射線モニタリングポストが5カ所あって、測定値をネットで公開している。

浮島町の臨界実験装置NCAから距離6~7Kmの海中でシンゴジラは出現した。
そして、(推測だが、)幼生シンゴジラは臨界実験装置NCA施設脇の多摩川を無関心に素通りして、羽田空港と境界海老取川を通り、呑川に入った。

ーーーシンゴジラが関心を示さない臨界実験装置NCAとは、どんなモノなのだろう(?)、私のほうが関心を持ってしまった。
東芝の説明では、「特徴: 出力が低く、冷却する必要がありません。 放射能が低く、燃料は手で扱えます。」
「・出力
最大熱出力は200Wで、研究用原子炉の中でも出力が大変低いものです。運転中も温度や圧力は上がらず、発電の装置もありません。出力が低いため、 運転中も温度の上昇は測れないほど小さく、冷却する必要がありません。燃料の崩壊熱はさらに低いので、使用した燃料はプールなどの水中で保管する必要はなく、燃料室に(空気中で)保管しています。」
「・燃料と放射能
燃料は棒状の形状で燃料棒と呼んでいます。実験を行う場合には必要な燃料棒を炉心タンク内に装荷し、一連の実験を終了するとまた燃料室に戻して保管します。出力が低いため燃料は減らず、繰り返して使用することができるので、使用済燃料は発生しません。 燃料の中で発生する核分裂生成物の量が少ないので、燃料からの放射線量が低く、燃料室と炉心タンク間で燃料を移送する際に、所員が燃料棒を直接、手で取扱うことができます。」 https://www3.toshiba.co.jp/power/pic/pdf/201606_nca_no2.pdf
NCAの最大出力は200Wだが、実際の運転は0.1W程度だという。起動から停止まで2時間程度。常温常圧での実験のため、ウランと水素の比率を高めるため、発泡スチロールが使われた。
ーーーこんなことで、本当に臨界を極小でコントロールできるのだろうか?

成長したシンゴジラも、幼生のときと同じで、臨界実験装置(NCA)にもウラン燃料にも無関心だった。
シンゴジラは、中原区武蔵小杉で自衛隊の猛攻撃をかわして、多摩川にかかる丸子橋を破壊して都内へ進行するのだが、武蔵小杉に出現する前、わずか数秒間だが、京浜運河に現れた。
今度こそ浮島のNCA破壊だと思いきや、東電川崎火力発電所の千鳥町を飛び越え、扇町の通常工場(昭和電工?)を潰しただけだった。

シンゴジラは、深海ザメの一種「ラブカ」に似た生物が海中投棄された放射性廃棄物を食べた結果変態したという出自を持ちながら、なぜ、ウラン燃料臨界実験装置(NCA)に気付かないのだろうか?
また、初代ゴジラ(1954年)が水爆実験の放射能の影響で誕生したという核に対する「種」の怨念を、シンゴジラは忘れてしまったのだろうか?

映画のパンフレットには、シンゴジラは「熱核エネルギー変換生体器官を内蔵する混合栄養生物」だと設定されていた。
ということは、シンゴジラは、一般的な原発のようなウランやプルトニウムの核分裂炉ではなく、トリチウム(三重水素)使用する熱核反応を利用した核融合炉を体内に内蔵する生物(?)らしい。
核融合炉と同じ働きをする「熱核エネルギー変換生体器官」は、地上の太陽と呼ばれる次世代のエネルギーで、原発の核分裂炉のような暴走の危険がなく、高レベルの放射性廃棄物も出さない。
「混合栄養生物」というのは、従来の原発が出す高レベル放射性廃棄物(それを食べて放射能を半減するとともにエネルギーを得る)と、生体核融合炉から得るエネルギーとの混合(?)。

シンゴジラは、川崎の核研究施設を無視したわけではなかった、あえて攻撃しなかったのだ。
小さな施設といえども、核施設を潰したら、日本が破滅することを知っていた。

まさか、東電の責任を追及するために出現したわけではないだろうが、シンゴジラは放射性物質を半減させる能力を持ち、「熱核エネルギー変換生体器官を内蔵する混合栄養生物」なら、殺すのではなく、生け捕りにすべきだったのだ。
巨大に変態する前の幼生シンゴジラのときに捕獲すべきだったのだ。
生きたまま捕獲して、シンゴジラの生命のメカニズムを解明すれば、現在私たちが抱えている核廃棄物や廃炉の課題と次世代のエネルギー問題などは、いっぺんに解決したかもしれないのだ。
シンゴジラは、自分自身の身体に、廃炉さらには核廃絶へのロードマップが書き込まれた、生物だったのだ。

東電の福島第一原発事故の事情説明文はこんな言葉で結ばれていた。
「 一日も早い福島の復興と再生を果たすために国が前面に出て、より高性能な放射性物質除去設備の開発、汚染水に含まれるトリチウムの分離や貯蔵、海洋放出などについて検討が行われています。」(東京電力)

ホームページ

suzfoto.comからsuzfoto.jpへの移行をちんたらやっていたら、空き巣狙いにあってしまった。
ちょっと隙を見せると、いろんな所から、攻撃がくる。
幸い、実害は何もなかったのだが、セキュリティの更新や再設定に一ヶ月以上かかってしまった。
しばらくぶりにsuzfoto.comをみると、なんとも恥ずかしい限りのウェブサイト。
最初っからやり直そう〜。
よーし、一ヶ月でウェブ大改造だ!

この世の楽園・日本

ハーバート・G・ポンティング著 英国人写真家の見た明治日本 (講談社学術文庫)を読む。

ハーバート・ポンティングにとって「常に人生に生き甲斐を与えてくれるものの一つ」であるカメラを持って、思う存分写真に撮ることを目的にして、1902年ごろ来日した。ーーー写真家ならではのこの取材意識が素晴らしい。明治期、一山当てようとして来日する外国人とは一線を画している。

「私は蝉の声が好きだ。…日本の昆虫の甘美な鳴き声は、私にはかりしれない大きな喜びを与えてくれた。…」

虫の音を日本人は左脳の言語分野で声として聞き、日本人以外の外国人は右脳の音楽分野で雑音として聞く(最近の脳科学はどのように捉えているのかはわからないが、日本語の母音の多さからして、あり得る)、という日本文化の深みまで測れる彼の感性も、また、素晴らしい。

日本人的な感性で、その上親日的ともなれば、最近のTV番組で流行っているような「世界に誇れる日本文化・日本の製品」というような見方になりがちだが、ポンティングはそのような俗物ではなかった。

明治日本の外国趣味に迎合して質の低下した職人技の多さを嘆き、その中で毎日技に磨きをかける名工がいることも知っている。その名工が作り出す超一級品を見極める目も持っている。

ビンテージプリントを見たくなるほど写真がうまい。絵葉書になるような撮りかたはしていない(日本に慣れたとき、こずかい稼ぎをしたような写真もあるが)。ポートレートなどは彼の人柄がよくわかるように表情が優しい。

110年程前の明治期日本。来日した外国人によっていくつかの日本見聞録が出されているが、この本が一番かなー。

原著は1910年ロンドンのMacmillan社から出たIn Lotus-Land Japanで、Kindleでも200円で読める。しかし、この世の楽園かなー?編集者がつけたタイトルだろうけど。

映画「創造と神秘のサグラダ・ファミリア」

たとえば、生誕のファサードの彫刻家外尾悦郎と受難のファサードの彫刻家ジョセップ・マリア・スビラックスが若いとき偶然バルで出くわし、もし、どちらかの腹の虫の居所が悪かったら、殴り合いの喧嘩になるのではないかと思う。それ程、二人の彫刻家の作風や考えは異なっている。

この二人だけでない。サグラダファミリアに関係するクリエイターたちは考え方が異なる人が多い。ーーーそういう彼らがサグラダファミリアという一つの場所で共同作業をする。ーーーまさに、The Mystery Of Creation、想像と神秘。

映画「創造と神秘のサグラダ・ファミリアhttp://www.uplink.co.jp/sagrada/」を見た。ーーースイス人監督のステファン・ハウプトは、クリエイターたちの「違い」をバルセロナのもつ人種の多様性として関連付けていた。ーーーでも、それは最近のことではないの?ーーー 少し違うように思う。

ここ30年間ガウディを見ているものにとって、二つの歴史的要素がサグラダファミリアの建設を大きく変えたことがわかっている。

一つは、CADの使用。石からプレキャストへと素材・工法が変わった。
もう一つは、世界遺産登録による観光客の劇的増加。結果、大収入、建設費に悩まされなくなった。

映画の中で、ニュージーランド人に建築家のマーク・バーリーが、使用したCADソフトは普通の建築用のものではなく、航空機設計用の3DCADソフトであることを明らかにしている。ーーーもともと設計図を書かないガウディの建築物には、このほうが適切だ。

大勢の観光客がもたらす収入の多さという経済的な「量」は、サグラダファミリアの建築的な「質」を変えてしまったのかもしれない。そんなことを考えさせられたドキュメント映画だった。

王立ガウディ記念講座のバセゴダ教授がガウディの言葉を引用して「神は急いでおられない。焦らなくていい」と述べていたが、そのバセゴダ教授も2012年に亡くなっている。ーーー私の写真集に対してガウディが喜ぶと言ってくれた教授だが、ガウディはこのドキュメント映画をどう思うのだろうか?

ものづくりとは何か?

忙しくなると、本を読みたくなる。一種の逃避行動かも知れない。村上隆の本は、作品が好みではなかったので、積極的に読むことはなかったが・・・。
しかし、古本店で、たまたま、手に取った創造力なき日本 アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」 (角川oneテーマ21)の開いたページに「『ものづくりとは何か?』という問いにひと言でこたえるとすれば、インスピレーションです。」というフレーズが琴線に触れたので、即、買ってしまった。

タイトルからして挑戦的な言葉だが、全編ストレートな言い方でつづられた、刺激的なビジネス書だった。

「ヒエラルキーの最下層にいるアーティスト」なる村上氏の言葉で、階級社会を連想し、「下部構造(土台)が上部構造を規定する」というマルクシズムの命題を思い出した。少し穿った見方をすれば、本書はこの命題が現代ではアートインダストリーにおいてこそ当てはまり、アーティストは上部構造だけの存在と思われがちだが、アーティストを規定しているのは下部構造(土台)なのだから、しっかりとした下部構造(土台)を作らねばならず、その作り方を述べたものだ。

村上隆氏が言うところのアーティストがアートインダストリー業界で成功するための仕事術とは、次の3点に絞られるかも知れない。

「いつか世間に見直してもらえるといった考えを捨てることこそが、芸術家として身を立てる第一歩、成功するための仕事術の第一歩になるのです。」
「欧米の芸術の世界には“確固たる不文律”が存在します。」
「才能を買ってくれたハイヒエラルキーの人たちの期待を裏切らないようにしていれば、大衆には理解不能なことをしていても構わないからです。」

つまり、現代アートの顧客は、大金持ちだから、その顧客と比べたら、アーティストの存在なんて小さなもので、自分の作品が大きければ大きいほど、顧客と比べて自分は最下層であると自覚しなければならず、そういう顧客を獲得するために、また、顧客を満足させるためにしっかりとした西洋美術の文脈を身につけ、積極的に発言し、それによって世界的な評価をものにしなければならない、そして、最高の顧客をつかんだら、その人達のためだけに制作すればよい、ということでしょうか?

この本を読んでいたら、村上隆はワーグナーかなとインスピレーションした。次の読書予定、村上隆の「芸術起業論」を読むときにはローエングリンでもかけながらページを捲ってみようかな。

不肖・宮嶋inイラク

映画「ヴィヴィアン・マイヤーを探して」を見るため黄金町のジャック&ベティに行った。

上映までには少し間があったので、時間つぶしに商店街の古本屋に入った。
そこで眼にしたのが宮嶋茂樹さんの「不肖・宮嶋inイラク―死んでもないのに、カメラを離してしまいました。」という写真集。

13年前のイラク戦争、開戦直後の4週間(本人曰く人生最悪の4週間)をリポートしたものだ。
「復興には、とてつもないゼニと時間がかかるであろう。ほかならぬイラク人自身がそうさせるのである。次にこんな国の指導者になりたがる奴がおるとも思えんが、誰がなっても私は同情する。・・・」絶望のなかでの直感的な予測がISIL支配地区の現況と重なる。

彼の直感は、極限状況において、冴え、撮影で緊張した神経を弛緩させているときなどは、鈍るようだ。その落差が彼の面白さなんだけど。