「日本辺境論」内田樹著

iWebをやめて別のソフトにしたいと思い、それに合わせてBlogも少し整理などと考えているうちに、選挙の憂鬱やら忙しさが重なり、休んでいたら12月も下旬になってしまった。
これはいけない。「お掃除というものは、・・・組織的かつ徹底的にやろうと思うと、思っただけでうんざりして、つい先延ばしにしてしまいますから。お掃除の要諦は「徹底的にやってはいけない」ということです。」と内田樹さんも仰っていた。これだこれだ。
というわけでサイトのことは横に置いといて、日本辺境論 (新潮新書)を読んだ。
(本当は中国共産党幹部の必読書100冊のなかに内田樹さんの本があがっていたからだが・・・)
身体を素速く動かす人がその動きとシンクロさせるように言葉を操つった文章は、読んでいて気持ちがいい。元気が出てくる。
さてこういうところに惹かれたと引用させてもらおうと、付箋を貼ったところを再読すると、そうだったかな(?)と別のところが読みたくなる。・・・III「機」の思想を何度何度も読むことになってしまった。

世界的に見て、写真の世界は狭いけど、日本は中心から遠い、ことを思い知らされていた小生は、中心から遠い=辺境という大前提をすんなり受け入れて、読み進めた。
内田さんの言う「機」が写真の「Decisive Moment」に至る過程と近いので、「住地」も「石火之機」も理解が早い。

あとがきにふれられていたが、本書の着想は憲法9条2項の矛盾を論じた「憲法どうでしょう」からだそうだ。だとすると、内田さんがいいたいことは「武道の目的は『敵に勝つこと』ではありません。『敵を作らないこと』です。」なのだろう。

政治・経済・文化・スポーツ・・・日本を動かしている人達が武道の修行をすれば、日本は「天下無敵」になる、単純な深読みだろうか? 『武道的な「天下無敵」の意味』を読むと、まんざら外れてはいないようだが、
「『天下無敵』という言葉がありますが、この言葉を『天下の敵という敵をみんな斃してしまったので敵がいない状態』だと解している人が多いようです(というか、ほとんどの人はそう解しています)。でも、よく考えればわかりますけど、そんなことはあり得ない。・・・『敵』という概念は根源的な矛盾を含んでいます。敵を除去すべく網羅的なリスト作成すると、世界は自分自身を含めてすべてが敵であるという結論に私たちは導かれます。ですから、武道的な意味での『天下無敵』は、それとは逆にどうやって『敵』を造らないかを工夫することになります。」

「相手が斬りつけてくるので、それを避けなければいけないという条件を仮に想定します。選択できる動線は限定されます。このときに『自分には無限の選択肢があったのだが、攻撃の入力があったせいで、選択肢が限定された』というふうに考えるのが『敵を作る』ことです。それに対して、『無限の選択肢』などというものは仮想的なものにすぎず、とりあえず目の前にある限定された選択肢、制約された可動域こそが現実のすべてであり、それと折り合ってゆく以外に生きる道はないと考えるのが『敵を作らない』ことです。そう思うことで、時間意識が変成する。」

「・・・『敵を作らない』ことのもっとも重要な目標は実は時間意識の変成なのです。」

こんな重要なところまで引用させてもらったので、あとは購入して読んでください。なんせ習近平主席はじめ幹部みんなが読んでいるんですから。