タカーチ弦楽四重奏団

昨夜(9/26)紀尾井ホールでのタカーチ・クァルテット(Takacs Quartet)のベートーヴェン、バルトーク、ブラームスの「弦楽四重奏の三大B」は気持ちが良かった。久々に、仕事を忘れさせてくれ、音楽の世界を漂う感覚があった、何か別次元の空間にいるような。
タカーチ・クァルテットは、1975年ブダペストのリスト音楽院の学生によって結成され、1983年米国コロラド州ボルダーに拠点を移し、コロラド大学で音楽の指導傍ら、世界各地でコンサート活動を行っている。バランスの良さはこうした経歴によるものかもしれない。
データ移行の時間を利用して書いている。もっと書きたいのだが、後が詰まっているので・・・またの機会に。

モホリ=ナジも好きなんだ・・・

高所撮影の安全ベルト

安全ベルトをしてビルの屋上で数時間撮影していた。
少し身を乗り出すだけの安全ベルトなど必用がないと思えるのだが、規則上仕方がない、腰にしっかり締め込んだ。
作業を開始してから15分くらいは、何ともなかったのだが、気がつくと動きがだんだん鈍くなっている自分がいた。
高所撮影は何度も経験しているが、こんな感覚は初めてで、現場になれてきたらだんだん怖くなってきた。
普段は、逆で、なれてくると作業スピードがあがり、「なれてきたときが一番危ない」とワザとスピードを落として終了していた。
どうして今回は怖くなったのだろう?
考えられる原因は次の二つ。
1)安全ベルトの締めすぎ。
2)手伝ってくれる人が二人もつく過剰と思われるような安全対策。
1ー)安全ベルトはいい加減に締めることができないのできっちりと締めたんだが、締めすぎた。呼吸が普段と変わってしまった。
2ー)カメラが万が一落ちて通行人にあったりしたら、大変な事故になってしまうから、地上にも作業員を配置した。(自分の手からカメラを落としたことはないけど、風で三脚が倒れたり、10m上げたポールがケーブルに引っかかりカメラをおとしたことがあるので)下を見ると、そういう記憶が甦って、突然、怖くなる。
一旦恐怖感におそわれると元に戻るのが大変だ、高所撮影を完了し、地上での撮影の終え、家に戻って横になる・・・が、眠りにつけない。(普段は横になると一分で眠りに入るのだが)ベットの上で何時間かの追体験。
・・・事故もなくいい写真が撮れたので、過剰な安全対策もよしとするか。

脇のヘアー

6月、ウィーンでのこと、トラムのシートに座っていたら、前に立ったマッチョな男の脇の毛が気になった。
その男は体毛が濃く、ノースリーブのジャケットからつり革に伸びた腕は毛むくじゃら。だけど、脇毛は綺麗に剃っていた。
想像してほしい。脇毛を処理した熊がつり革につかまって立っているところを。
視線の先は同じところで、ガイドのエヴァさんが「最近は男も脇を処理するのね。」
「脇だけじゃないんですよ、最近は男も女も下のヘアーを処理する。」と小生。
・・・
暑いので裸になってダンベルをやっていたら、突然、思い出してしまった。

パッチワークキルト

パッチワークが流行っているようだ。手芸ならぬ文芸の分野で、いや文芸ではないか、もっと基本的なリテラシーの範疇で。
雑誌でもネットでも、読んでいて不明瞭だなと思える箇所は、決まって、パッチワークだったり、する。
面白いとかつまらないとか、いいとか悪いとか、うまいとかまずいとか・・・子供でもわかるような感覚も「大多数」にたよらなければならない人が多くなった。これもネットの影響か。
キルトといえば、アーミッシュのキルト作品など見ると宝石だと思えるようなものがある。
http://www.pbase.com/brownsf/amish_quilts
キルトは、実際自分の目で見ると、平面デザインではなく立体デザインに、驚く。
アーミッシュって、ネット使えるのだろうか?
http://amishamerica.com/do-the-amish-use-computers-and-the-internet/
基本的にはダメみたいですね。ダメというかネットやPCは外部のお客さんとの連絡のため使うだけで、そのほかの利用は興味がない。
パッチワーク・リテラシーからアーミッシュキルトになってしまった。・・・本当はこんな奥歯に物がはさまったようなことを書くつもりはなかった。

Be My Last

奇異な歌詞とプラハで撮影されたこともあって、前から宇多田ヒカルのBe My Lastが気になっていた。

藤圭子さんの自殺でこの曲は特別な意味を持ってしまったみたいだ。
精神を病んでいる人と暮らすのはつらい。本人も病気のことをわかっていて、冷静なときは自己分析もできるので、まわりの人はその状態を基準にして考えてしまうが、事態はもっと深刻だ。
バラバラになったコラージュも他人が撮った写真の寄せ集めではない。母親でなければいくらでも繋げることができるコラージュだから哀しい。時系列で配列できない記憶ほど哀しいものはない。
「・・・長年の苦しみから解放されたことを願う反面、・・・」
http://www.emimusic.jp/hikki/from_hikki/