ダイビル

大阪中之島のダイビルの撮影依頼があったので、早速調べてみた。
大阪ビルヂング→大ビル→ダイビルと名前になったとのこと。
大阪商船(現・商船三井)・宇治川電気(現・関西電力)・日本電力の3社間において、共同で新社屋を建設する為、1923年(大正12年)、不動産ディベロッパー株式会社大阪ビルヂングが設立。
1925年(大正14年)、大阪・中之島にダイビルの建築。設計は渡辺節、低層部には村野藤吾デザインによる竜山石製の装飾彫刻が見られ、このため「ネオ・ロマネスク様式の建築」と評価された。→えっ?どこがロマネスク? →コーニスのデザインも村野藤吾? 
構造設計内藤多仲?
建替えたあたらしいダイビルは、設計日建設計、施工大林組。
http://daibiru-tsushin.com/special/
低層部は旧ビルのデザインを踏襲、復元。
エントランス上部の彫刻大国貞蔵「鷲と少女」は旧ビルのもの。

志野茶碗

志野焼(しのやき)茶碗(かけら)、撮影の依頼があったので、早速調べてみた。
志野焼は、美濃焼の一種で、美濃(岐阜県)にて安土桃山時代に焼かれた白釉を使った焼物。
東京の三井記念館に収蔵されている国宝「卯花墻(うのはながき)」がとりわけ有名。
http://www.mitsui-museum.jp/collection/collection.html
志野焼は江戸期入ると、原料のもぐさ土の確保困難、窯の変化、経済性などの理由などで忽然と消え去ってしまう。
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時は経て昭和5年(1930年)のちの人間国宝の陶芸家荒川豊蔵が可児市大萱の牟田洞窯跡周辺で古志野の筍絵陶片を発見した。いままで瀬戸で焼かれていたものだと思われていた志野茶碗がこの地で焼かれていたという大発見だったようです。
荒川豊蔵は陶片発見から3年後の昭和8年(1933年)発見場所近くに古窯を模した半地上式穴窯を築き、志野茶碗の再現に励み、幾たびかの失敗、試行錯誤の末、昭和10年(1935年)魯山人も絶賛するようなものが焼けるようになる。
荒川豊蔵の作品を見るには、
http://hiroshi-t.com/arakawa.html
また、荒川豊蔵は志野茶碗の特徴として
1)白い釉は、長石の釉で厚くたっぷりとかかっているので、あたたかみがある。
2)柚のようなぼつぼつあばた。
3)ところどころに、緋色のにじみ。
4)筆による絵付け。
改めて依頼品を見ると(なんでも鑑定団ではないが(笑)
1)長石の釉は厚くたっぷりとかかってはいない。
2)つぶつぶはある。
3)緋色のにじみあるのもある。
4)絵付けの部分はない。
それがよいものだと、一つの陶片から昔の陶工を想像したり、妄想がはじけるようなことがあるが、それはない。
人間国宝荒川豊蔵以降同じく人間国宝鈴木蔵氏、県指定重要無形文化財保持者の加藤孝造氏(瀬戸黒の人間国宝)、若尾利貞氏や林正太郎氏らが志野茶碗を作っている。
撮影依頼の陶片、可児市大萱付近で見つかったものといっても志野焼のかけらというわけではない、かりに志野焼としても質の良くないものだ。

志野茶碗の作品の写真を見ていると自分の好みがわかってくる。
私の好みは加藤唐九郎の志野茶碗だ。だからどうしたって(?)欲しいのか(?)ってはなしではないが。