青春不敗

韓国KBSに「青春不敗」という少女時代のユリやサニー、KARAのク・ハラたちガールズグループの7人が農業体験をするバラエティ番組があるけど、あれはFTA(自由貿易協定)を先行させた農業対策の側面援助だったんですね。TPPで混乱の極みといった日本から見ると羨ましい限りです。韓国の農業政策が経済的にうまくいっているとは思えませんが、何をすべきか若いひとたちの関心を向けさせたのは大成功ですね。

FC:AG グエル公園多柱空間

グエル公園多柱空間。

グエル公園の原計画=庭園都市計画ではマーケットを予定した空間。直径1m、高さ約6m、86本の柱が上の野外劇場=広場を支える。通常のフォトクビカより視線を少し上げたところ、多柱空間が球体の宇宙に変わった。
 
 床下部は貯水槽になっている。列柱の中心部は空洞で、広場に降った雨水を貯水槽に導く構造になっている。画面中央に見られる円盤のモザイクモチーフはガウディの弟子であり、協同者でもあるジュゼップ・マリア・ジュジョルがデザインしたものだ。モザイクモチーフの中にある小さな金具は照明器具を提げるためのものだ。
 
 このドリス式列柱が野外劇場と外縁を蛇行するモザイクベンチを支える。写真家のブラッサイは、ジョアン・ミロにつれられてグエル公園を散歩したとき、ミロはモザイクベンチを指さしながら、このように語ったという。

 「私はガウディが色彩に卓越した役割を演じさせていることに感銘を受けた。モザイクもセラミックもきらきら輝いているんだ。私の芸術はすべてそこから発している!」(ブラッサイ「わが生涯の芸術家たち」岩佐鉄男訳 リブロポート)

拙著「フォト・クビカ -アントニオ・ガウディ 遠近法の再構築 講談社」図版解説ページ書きなおし。

FC:AG サグラダ・ファミリア聖堂

生誕のファサードから受難のファサードを望む、サグラダ・ファミリア聖堂、1989年撮影

朝、開門と同時に生誕のファサードをかけのぼり、塔の中央のブリッジから受難にファサードを中心にすえて撮影した。

サグラダ・ファミリアに魅せられた多くの者たちは建設に参加している。建設資金等多くの問題を抱えながらも、生誕のファサードがだんだん姿を現し始めると、人々の関心もそれにつれて高まり、各界の著名人、その他数多くの人達がサグラダ・ファミリアに訪れる。そのなかに当時建築学校の学生たちもいた。ホセ・ラフォルス、プーチ・ボアダ、ホアン・ベルゴス、セサール・マルティネールたちである。ガウディは彼らにたいしてかなりの時間を割いている。彼らの前で実験をし、一人ひとりに建築理論、哲学、人生を語った。個と全体の総合に生きても、人は個としてしか死ねない。ガウディは、彼らにたいして、魂の遺産相続をした。

ホセ・ラフォルスは、ガウディの死後、遺品目録、文献目録を作成、それを元に伝記「ガウディ(1928年)」を発表する。この本は今日までガウディ研究の基本的文献のひとつに数えられている。

プーチ・ボアダは、グエル邸、サグラダ・ファミリアなどについての論文を発表後、1967年、同じくガウディ研究家のルイス・ボネット・ガリとともにサグラダ・ファミリアの5,6代目の建築家に就任した。

ホアン・ベルゴスはガウディのもっとも熱心な話し相手だった。重要な事柄はもちろん、些細のことも克明に記録した彼のノートは、論文を残さなかったガウディにとって、貴重な資料となっている。Juan Bergos, Gaudi: l’home i l’obra 1954 松倉保夫の「ガウディニスモ」はベルゴスのノートを精読したものだ。

セサール・マルティネールは上記の3人と同様にガウディから直接得た一次資料を基にAntonio Gaudi 1955, GaudÌ: su vida, su teorÌa, su obra 1967「ガウディ」「ガウディーその生涯、理論、作品」となどを発表。その中で、この塔に吊すパイプ状の鐘についてガウディの試行錯誤ぶりを詳しく書き記している。

拙著「フォト・クビカ -アントニオ・ガウディ 遠近法の再構築 講談社」図版解説ページ書きなおし。

FC・AG カサ・バトリョ スパイラル天井のサロン

ホームページを英語優先にしたためか、日本語表示がおかしくなり、検索にまったく引っかからなくなってしまった。
それはまずいと、考えた対策は解説をこのブログの固定ページにまとめる(!)というもの。

カサ・バトリョ スバイラル天井のサロン

実際の建築が写真と違うということはよくある。しかし、カサ・バトリョのこのサロンほど実物と写真から受ける印象とが正反対になる事例は数少ない。

 「この怪奇な建物の写真を、暫く眺めているとこのガウディのアパートに住んでいるひとびと、このガウディの教会に出入りするひとびとが、夜いったいどんなくらい不安な夢を見るのか、しつっこくといただしてみたい感に痛切におそわれるのである。」埴谷雄高「墓銘と影絵」未来社

私も自分の眼で見ないうちは、埴谷雄高と同じように、ガウディ建築に落ち着くイメージは抱いていなかった。特に、このサロンは多くの写真家に撮られているので、写真から作られたイメージは不安を呼ぶものだった。ところが、実物は正反対だった。建具職人の手業が静かに目立つ、落ち着いた雰囲気だった。

拙著「フォトクビカ=アントニオ・ガウディ 遠近法の再構築 講談社」図版解説ページ書きなおし。

ロータリーエンジン

ロータリーエンジン搭載の唯一の市販車RX-8が来年6月で姿を消す。
各国の環境基準をクリアーしていくにはコストがかかりすぎるというのが理由だそうだが、小生としてはなんとも複雑な思いだ。小生はロータリーエンジンの熱狂的ファンということではない。ただ、世界の頂点に立った技術が消え去るのは悲しい。

雑誌アクシスの連載「匠のかたち」でロータリーエンジンを取材させてもらった。基本的には完成されたテクノロジーだが、具体的な細部にはまだまだ伸びる余地のあるエンジン、というのが率直な感想だ。増改築を繰りかえした建物のように細部のひとつひとつがトータルにデザインされてないと感じたからかもしれない。

ルマン優勝20周年記念の今年6月、「頑張れニッポン」というフランスからのエールに応えて、本戦前のサルテサーキットを走った。ロータリーエンジン車をマツダという一企業の技術として捉えているのではなく、日本のひとつの文化とみている。

近い将来、コンセプトカー靭(しなり)が現実のものになるだろうが、エンジンのラインアップには、ディーゼルのスカイDと風籟に乗せたようなアルコール燃料の3ローターのものやアルコール燃料のレネシス2連4ローターのものを加えて欲しい。

http://www.carview.co.jp/magazine/photo_impression/article/mazda_shinari/684/

ひとつのローターハウジングがユニットになっていて容易に繋げることが出来るという構造的な利点、と水素やエタノールでも動くという雑食性の利点、ここでその進化をやめたらもったいないですね。

ペーター・レーゼルのベートーヴェン・ツィクルス

コンサートの季節が本格化してきました。今年は例年になくこの季節を待っておりました。

今夜と明日紀尾井ホールでペーター・レーゼルのコンサートがあります。
ツィクルス(Zyklus)って連続演奏会のことなんですが、ペーター・レーゼルは、紀尾井ホールで、ベートーヴェンのビアノ曲全曲ツィクルスという4年がかりのプロジェクトを進めています。2008年10月から始めましたので、今年で3年目、いよいよ佳境に突入です。

そんなわけで、小生も明日撮りに行きます。

3年前と表情が大分違ってきているのですが・・・それもポジティブに受けとめて、いい写真を撮りたいものです。

スティーブ・ジョブス死去

A day in the life of Japan―日本の24時間

1985年6月7日、日本人写真家25人を含む世界中から集まった写真家100人が日本各地に分散、24時間内の出来事を写真に納めた。
この企画、アメリカ人写真家Rick Smolanが考えたもので、最初に開催した国はオーストラリア、次にハワイ、カナダ、そのあと日本、つぎにアメリカ・・・世界各地で行われた。

実は、小生、A Day In The Life Of Japanのプロジェクトにはassignment editorとしてかかわっていた。

この企画のスポンサーのひとつにApple Computerが名を連ねていた。その関係でRickたちが使っていたパソコンはMacintosh 512k。しかし、日本ではキヤノン販売が代理店になっていたけど、まだ大々的にはMacintoshは販売されていなかったし、漢字ROMはまだ出ていなかった。「漢字トーク」は開発中だったと思う。
いや、日本で販売されていたかもしれない。というのはA Day In The Life Of Japanの事務所はキヤノン販売の一室を借りていたから。前後はあるかもしれないが、時間的にはたいして離れてはいないだろう。

「これ簡単で、すごくいいんだ。・・・撮影料をお金かこのmacかのどちらかを選べるようにする。・・・」とRick。
「ふ〜ん。」小生は、彼らの契約書づくりなどをぞき込みながら、Macの素晴らしさより「英語」の素速さに感銘を受けていた。「いいなー、ドキュメントをすぐに作れて・・・」
「あとで日本語ROMを付ければ、日本語が使えるようになる。・・・撮影料の倍くらいの価値があるからMacを選ぶほうが得だ。」

Macintosh 512の当時の販売価格は50万くらいだったと思うが、撮影料の代わりにMacを選んだ日本人写真家はいなかったと思う。

ずいぶん遠回りな話だが、スティーブ・ジョブス死去の知らせでRick Smolanを思い出した。Rick SmolanはあいかわらずMacでいろいろな写真プロジェクトを続けているようだ。

http://www.apple.com/pro/profiles/smolan/

Steve JobsとRick Smolanの親密度は知らない。しかし、Rickの仕事はMacなしでは考えられない。Rickだけでなく小生を含む多くの写真家がそうだ。ありがとうございました。